てぃーだブログ › 日本の島を旅する

2009年10月28日

しまなみ海道

しまなみ海道の島々を自転車で巡る。最近その願いを遂げた。しまなみ海道とは広島県の尾道から愛媛県の今治までを結ぶ自動車専用道だが、島々を結ぶ橋には自転車専用道が設けられている。島内も自転車が走りやすいよう車道とは分離してサイクリングロード(大規模自転車道)が整備されており、車のプレッシャーをさほど受けないで走ることができる。最短距離を選んで70kmほどの全長だ。しまなみ海道とは別に、この旅の前半に四万十川の中流から中村まで走ったが、サイクリングとしても有名な割には全く自転車道が整備されておらず、のどかな川の流れとは逆で常にトラックの恐怖に苛まれていた。四国の中でも香川県と愛媛県は自転車が走りやすい道が多いように思う。しまなみ海道のスタートは尾道から始まる。ここから向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島という瀬戸内海の美しい島々を結んで今治に至るのだ。前日に讃岐から尾道入りして夜は名店「一口」で串カツを食べた。かなりクセのある店だが尾道の海の幸を堪能し英気を養った。尾道に来るのは初めてではないが、ゆっくり観光したことはない。有名な町のわりには有名な観光スポットが思い浮かばず、いつも通り過ぎるだけになってしまっている。この日も尾道の観光を諦めて、泊まったホテルの真下にある桟橋から渡し舟に乗って向島に向かう。尾道と向島を結ぶ尾道大橋(新尾道大橋も)は自転車動が整備されていないため、しまなみ海道はこの渡し舟から始まるのが一般的だ。数分で向島に着く。尾道の町から目と鼻の先だから離島の雰囲気は薄い。昼時にはまだ時間があったが朝食を食べていなかったので、「タケ」という渡し舟を降りてすぐの中華料理店に入る。店の雰囲気は中華料理店というより町のラーメン屋だ。評判を知らなかったらまず足を踏み入れないであろう。事前調査で評判が良かったから迷わずに入ったのだが、あまり期待は持っていなかった。尾道ラーメンといってもここは向島だし、店の雰囲気も期待を誘うものではなかった。しかーし、すぐに出てきたラーメンは遥かに期待を超えるものだった。というか、すっごく旨い。魚系と鳥系が上手く調和したスープと個性的な麺のバランスがすごい。ちょっとした感動を覚えつつ先を急ぐ。一応変速機が付いているが小径車の上に、自転車にも自分にも荷物満載なのでペースは遅い。そのため今回は大三島で1泊して無理のない行程を辿っている。向島の海岸線が見えると途端に離島の雰囲気が色濃くなる。車の通りも減り静かだ。瀬戸内の島らしく、柑橘系の木々が至る所に生い茂っている。みかんだろうか、実はまだ青い。食事をしてから30分くらいであろうか、今日始めての橋、因島大橋が見えてくる。しまなみ海道は島々を走るわけだから、海岸線を走っている限り殆ど平坦なのだが、橋を渡るためには橋の高度まで自力で上らなければならない。自転車専用道だしスロープも緩めに作られているが、結構長くて一番消耗するポイントだ。静かだ。橋まで一般自動車と完全に隔絶された道をゆっくり登っていく。周りには柑橘系の木々。遠くには鏡のように煌く海。正しい日本の風景である。しまなみ海道の橋は画一ではなくそれぞれ特徴がある。因島大橋は吊橋の2段構造で、自転車やバイクは下段を通るようになっている。周りを金網に囲まれているため眺望はあまり望めない。しかし今日始めての橋をクリアし、次の島に入る高揚感は縦走登山に似ている。因島に入り民家の軒先を行くと、表札に「村上」性が多いことに気づく。そう古来水軍の島なのだ。しかし歴史は好きだが村上水軍に対する知識は乏しいので「ほほう」以外に発する言葉がない。手を伸ばせば簡単にもぎ取れるみかんの方が気になる。四万十川や讃岐平野を走りぬいてきたので、いい加減お尻が痛くて仕方がない。向かい風も強いがそれでも少しずつ次の橋に向けてペダルをこぐだけだ。生口大橋はやや小ぶりの複合斜張橋だがとても美しい。渡りきってしまうのが惜しいくらいだ。生口島には「ドルチェ」という有名なジェラード店がある。大休止をするタイミングとしても適当だ。瀬戸田レモン味のジェラードを舐めつつ目の前の海と島々の風景を見ていると時間が止まっているような気がする。とってものどかだ。初秋の日差しも柔らかく気持ちいい。隣の駐車場では地元産のミカンが売っている。実家に5キロほど送るとおまけにレモンを数個サービスしてくれた。生口島は国産レモンの7割の収穫を誇っているのだ。気のせいか島全体にもレモンの芳香が漂っている気がした。平山郁夫美術館や耕三寺は興味がないのでスルーし、瀬戸田の商店街で名物のコロッケを食べる。揚げてから時間が経ってしまったのか若干冷めていたが、それでも朝からラーメンとジェラードしか食べていない腹にはしみじみ旨い。こういう買い食いがサイクリングの楽しみでもある。日が若干傾いてきたので大三島に向かう。多々羅大橋へのスロープから見る海が夕日に輝き美しい。多々羅大橋は生口大橋を大型にした感じで、世界一の斜張橋らしい。背景にミカン畑を従えとても美しい。大きくどっしり構えているが繊細でもある。美しいしまなみ海道の橋の中でも一番だと思う。橋を下るとすぐに道の駅があり、ここから見上げるのも非常に美しい。夕日にオレンジ色に輝いている。ここまでくれば、今日の宿まであと一息だ。



今夜の宿は「料理旅館 富士見園」にとった。入り口の池には何故か伊勢海老やあこう鯛が泳いでいる。生簀というより放し飼いだ。この伊勢海老がまさか今夜の夕食じゃないよなあ、なんて思いながら自転車を降り玄関から建物に入ると、大型旅館でよく見る「今日のお客様」というボードがあり、よく見ると我輩の名前が書き込まれているではないか。逆にいうと、我輩の名前以外はない。というと今夜のお客様は我輩ら一組ということになる。富士山が見えるわけでもないのに「富士見園」という名前と相成って若干不安は覚えたが、心地よい疲れが深く考えさせるのを拒む。ここのお風呂は塩風呂と銘打たれ、海水を引き入れているらしい。海水は疲労や傷を治癒する力がある。素晴らしいのは食事だった。玄関先で放たれていた伊勢海老やあこう鯛、そして殻付ウニを初めとする新鮮な刺身の数々、あこう鯛の煮付け、オコゼの唐揚、さざえのつぼ焼き、ハモのしゃぶしゃぶ、鯛釜飯などなどこれでもかあ、というくらい豊かな海の幸に彩られる。料理旅館の名に偽りはない。こうなれば日本酒以外に選ぶ酒はない。小富士、雪雀、賀儀屋など伊予の銘酒を次々に堪能し、したたかに酔ってしまった。伊予の日本酒は梅錦のようなすっきり辛口の印象が強いが、この日飲んだ三種も同様に、非常に上品で繊細ですっきりした飲み口だった。どれも魚介類との相性は抜群だ。ああ至福のひとときである。新鮮な魚介にはやっぱり日本酒だ。そういえばこの旅館も「富士見園」だったし、飲んだ伊予の酒に「小富士」があった。やはり何か富士に由来するものがあるのだろうか。そんなことを考えている間に爆睡してしまった。日本各地に一万社余りある山祇神社、三島神社の総本社であるこの島南部にある大山祇神社は時間の関係で立ち寄ることが出来なかったが、この宿に泊まるためにももう一度この島を訪れたい。
翌朝の朝食も食べ過ぎ、出発は10時を過ぎてしまった。今日の行程は、大三島から伯方島、大島を経て今治に渡り、電車で松山を経て道後温泉に泊まるのだ。大三島橋をクリアし伯方の塩で有名な伯方島へ。ここで塩アイスクリームを食べるのも楽しみの一つだ。しまなみ海道は伯方島を掠める程度にしか通っていないので、島から島へのサイクルが早くなってきた。同時に橋へのスロープに上るサイクルも早くなってきていよいよ尻の痛みが爆発する。伯方・大島大橋は二つの橋からなっているが、もはや橋を愛でている余裕もない。しまなみ海道最後の島、大島に入り海岸線を行くと、ものすごい海流の速さに驚く。まるで川のようだ。こんな海に落ちたら例え泳ぎが上手くても絶対に流されてしまう。こういう海域で育った魚は身が締まって美味しいはずだ。向島、因島、生口島、大三島、伯方島とずーっと海岸線を走ってきたが、ここ大島だけは内陸を突っ切って行かねばならない。内陸を行くということは少なからず起伏があるということだ。大島にも短いながら峠がある。こういう場合さっさと降りて自転車を押していくのも大人だ。昨日といい今日といい最高の天気に恵まれている。自動車の一団が過ぎると風と虫の声と自分の息遣いしか聞こえない。峠を何とか越えると楽しい下りだ。今回の旅のために前ブレーキをシマノ製に交換している。下りきると石切場が目立つようになり、大きな民家がこの土地の豊かさを語っている。大島最後の坂を一気に下り、この旅最後の道の駅で休憩を取る。考えてみれば名刹・旧跡などに立ち寄ることはなく、食べること以外はひたすら自転車を漕ぎ島を巡った。いや、島というより「橋を巡る旅」と言った方が正しい。瀬戸内海の美しい海、美しい島、そしてそこにある人々の生活、それらを繋ぐ「橋」が今回の旅の目的なのだ。今回はしまなみ海道を忠実に辿っただけだから、全然見ていない見どころや街も多い。それでも橋と緑と海の調和は十分堪能出来た。今回の旅のクライマックスとなる4キロにも及ぶ圧巻の来島大橋を噛み締めるように渡り、空中遊泳しているような錯覚をしばらく覚えつつ美しい瀬戸内の旅を終えた。今夜は道後の湯に溶けてしまうだろう。  

Posted by 琉球の風 at 01:24Comments(0)TrackBack(0)瀬戸内海

2008年06月10日

宮古島

宮古島は八重山に比べていわゆる観光スポットが少ない。例えば宮古の生活や文化が色濃く残る場所が顕著ではないし、町並みや家々も台風に耐えるためだろうか、沖縄らしさはあまり感じられない。その分、美しい海と、さとうきび畑を中心としたのどかな田園風景をどこにいても見ることが出来る。宮古島は、来間島と池間島という小さい島と橋で結ばれている。どちらも1500m前後ある長い橋だ。この橋が美しい。人口建築物はいつも自然や景観を破壊するが、橋だけは自然に無理なく溶け込む建築物である気がする。考えてみれば宮古のみならず、島々で構成される日本には美しい橋が多い。本島のニライカナイ橋、古宇利大橋。瀬戸内海の瀬戸大橋、しまなみ海道や明石大橋、下関の関門大橋、横浜のベイブリッジ、東京のレインボーブリッジなど。どれも風景に溶けんでいて無理がない。素直に美しいと思う。もちろん建設の過程では、多くの自然を破壊しているのだろうが、堤防やダムなどの人工建築物に比べて橋は人間に与える不自然な圧力が少ない。それはきっと橋が持つポジティブな印象のためだと思う。橋は島と島を繋ぐ。すなわち人と人、人の生活と生活を繋ぐものだ。機能美、といってもいいのかも知れない。ここ宮古の来間大橋と池間大橋はそれを象徴するものだ。蒼い海に伸びる橋が無理なく風景に溶け込んでいる。特に西平安名崎から見る池間大橋の美しい曲線は官能的ですらある。この橋があるために、海の美しさが余計に際立って見えるのかも知れない。宮古、いや沖縄を象徴する風景だろう。



反面、著しく宮古の景観を壊している建造物もあった。ドイツ村だ。中に入ることはしなかったが、海岸沿いに忽然と現れる醜悪な建造物は、それを思いついた人間がもう気の毒としかいいようがない哀れさを感じる。観光客が喜んで"秘宝館"や"オルゴール館"に集う時代はとうの昔に終わっている。多くの旅人は"何もない"美しさを求めているのだ。ドイツとの親交は分かるが、「じゃあドイツのお城を」という発作的かつ短絡的思考はどうしてこうも田舎で生み出されるのであろうか。西洋に憧れる日本人のコンプレックスが、尚も燻っているのであろうか。寂れたその風景は、人間の強欲と浅はかさを映し出すもの以外の何物でもない。しかし、今後への教訓として、いつまでも寂れたままで残し、後世に反面教師として伝えて欲しい。
宮古には風景の美しさだけでなく、独特の文化がある。方言などは本島の人間が聞いても分からないことが多いと言う。確かに下地勇の歌を聞いていても、歌詞の内容は殆ど理解できない。しかし宮古の人々はこの方言に誇りを持っている気がする。いや、方言だけでなく文化そのものに誇りを持っているのだろう。誇りという点では、それは宮古に限ったことではないが、何か"意地"のような迫力さえ以って伝わってくる。また、宮古を語るとき、忘れてはいけないのが"オトーリ"だろう。車座になって口上を述べながら泡盛を回し飲んでいく、内地の酒飲みにとっても恐ろしい習慣だ。しかし宮古に住む友人に聞けば、倒れるまで飲むのは昔の話で、最近は飲み方を弁えているらしい。"引き時"が上手いのだという。"娯楽"が少ない宮古では、このオトーリは傍で見るよりも楽しいものなのだろう。
今回の旅で偶然昔の同僚と出会った。東京から移り住み、東平安名崎の近くでカフェとゲストハウスを経営しているのだと言う。彼にそのようなセンスがあるのにも驚いたが、さとうきび畑のど真ん中にポツンと立つそのカフェにも驚いた。辺り一面が海、さとうきび畑の海に囲まれているのだ。さとうきび畑の他には何もないが、安住の地を手に入れた彼をとっても羨ましく感じた。
夜は島内随一の盛り場、西里を徘徊する。盛り場といっても多くが観光客のための店で、あまり地元の人間を見ることがなかった。選んだ店が悪かったのであろうが、意外に広い宮古では、わざわざ飲むのに繁華街に集うこともないのかも知れない。幸い、というべきか、オトーリを目の当たりにすることもなかった。
今回は天候にあまり恵まれず、海に潜る機会はなかったが、その分車で縦横無尽に島内を巡る時間があった。一番気に入った場所が、西平安名崎や池間島に向かう地峡の緑の美しさだった。感覚的な印象だが、畑にとても力強さがあったのだ。
旅を後で思い返してみて、いつも強烈に印象に残っているのは、夏の夕暮れ時であることが多い。名刹や風景の印象ではなく、"空気"の気配の記憶なのだ。この場所に出会ったのは夕暮れではなかったが、久しく味わっていなかったその感覚を呼び覚ました気がする。
現在宮古島と伊良部島とを結ぶ伊良部大橋が建設されている。その全長は3500mを超えるらしい。多くの金銭が飛び交い、多くの自然を破壊すると思うが、その自然破壊を最小限に食い止めるために、最大限の投資を施して欲しい。伊良部大橋が美しい橋になるか否かは、島の自然を願う人々の心に左右されることになるはずだ。  

Posted by 琉球の風 at 12:20Comments(0)TrackBack(0)

2008年03月24日

渡名喜島

渡名喜島。慶良間諸島、久米島、粟国島を結ぶ三角形の中心に位置する。観光客も訪れることがない、静かで何もない島だ。何もない、という意味は有名スポットや物質的な豊富さに対してであって、そこにも島の生活はある。時折メディアに登場するのは、全島挙げての小中学生水泳大会や、朝の清掃活動についてである。以前TVを見ていて心を打たれたのは、全島民が見守る中での学生達の水泳大会だった。美しい海を背景としたNHKの番組だったと思う。この島には高校がないので、高校に進学するには本島に移り住まなければならない。島での短い学生生活は、それだけ光り輝く人生の一こまを刻むのだろうか。素朴で暖かい島の人たちが印象に残っている。その時にこの島にいつか来ようと思ったのだ。
 フクギに囲まれた美しい集落が、この島の最大の特徴である。朝の清掃活動だけでなく、日曜にも関わらず、この日も大人たちが東側の海岸を清掃していた。こういう努力がこの島をさらに美しくさせているのだろう。集落は島の中にあるわずかな平地にある。この島はかつて2つの島が砂の堆積によって繋がって一つになったらしいが、おそらく集落がある平地が海だったのだろう。民家は一軒一軒フクギに丁寧に囲まれ、敷地は道路より一段低くなっている。道路といっても砂地で自転車で走るにはすこぶる具合が悪いが、水はけを考えたものだろう。コンクリートだと豪雨のときなど一段低くなっている民家に流れ込んでしまう。山と山の谷間に集落があるだけに、暴風はこの集落を通り抜けていくはずだ。厳しい生活環境の中で、村民の数は減少していると聞く。この島は、隣の入砂島のともに、渡名喜村という一つの自治体に属する。県内でも2番目に人口の少ない村だという。入砂島は、「ちゅらさん」の冒頭で、キロロの主題歌ともに俯瞰されるリーフに囲まれた小さな島だが、今は米軍の射撃場になっているため立ち入ることは出来ない。港から遠く眺めるだけだ。
 迷路のように入り組んだ集落を自転車でゆっくり巡る。コンビニもなければ信号もタクシーもない。入り組んでいるのは風の通りを遮るためだろうか。赤瓦の民家が多いが、竹富島のそれとは雰囲気が異なる。観光客が殆どいないのか、牛車などもない。あるのは美しい海と険しい山と、それに挟まれた僅かな耕地だけだ。取り立てて観光客を招き入れようということでもないようだ。朝の清掃活動は、島の人々自身のために行っているのだろう。
 島内を一周してみる。道路の舗装は荒く、自転車で走るには若干辛いが島の人には問題などないだろう。アップダウンがきつく、自転車を押して登る。すれ違う人はいない。この日は風が冷たく曇っていたが、晴れていたら余計にきつかっただろう。
展望台までは急勾配の一本道だが途中シド岬への入り口が左手にある。尾瀬のような木道の道が岬まで続いているが、地元のオジーの「ハブに気をつけな。」の一言を思い出し、あまり深くまでは入り込まなかった。 海からの風が思いのほか強く、晴れていれば素晴らしい色を湛えた海も、今日は曇りで日本海のような寒々しい色をしている。海が見えなくなると、鋭角的な山々のせいか、離島とは思えない景色が広がる。秋吉台のようなカルスト地形が島の北部を覆っている。大岳までの激しい登り坂もなだらかになり、展望台から360度の眺望を楽しむ。入砂島もよく見える。この日は風も強く、太陽も隠れていたので肌寒かったが、天気が良ければ眺めはより素晴らしいものだったろう。展望台直下の空き地で泊港で買ったホットドックを食べながら休憩する。食堂もフェリーターミナルにあるだけだし、島内の商店にも買ってすぐに食べられるものなど無さそうだったので、時間がないながらも買っておいて良かった。静かだ。後は下るだけだから気も楽だ。しかし下りは下りで急すぎて飛ばすことも出来ない。前後のブレーキをフル稼働して恐る恐るゆっくり下っていく。西側の海岸に出ると道は平坦になる。あっという間に港に戻ってしまった。この島に到着してから2時間が経過している。帰りのフェリーまでもあと2時間だ。海に入るにはまだ早いので時間を持て余してしまった。今度はゆっくり時間をかけて集落を縦横に走る。それでもまだ時間があるので海岸の堤防で寝そべっていると本当に寝てしまった。
渡名喜島。美しい集落と自然が残る島。このまま脚光も浴びず、何も変わらないでいて欲しいと思うのは、旅人の我侭だろうか。




  

Posted by 琉球の風 at 19:45Comments(1)TrackBack(0)沖縄